加子母人

聞き書きとは

聞き書きとは、話し手の話した喋り言葉だけで作品が構成されています。しかし実際は、話し手と聞き手の会話から作られていくものです。ですから、話し手と聞き手の人間関係、信頼関係が作品に表れてくるものだと思います。
自然の生長量の中で持続的に暮らしていた石油に依存する生活になる以前の暮らし。その暮らしの知恵を聞き、伝えていくというのが聞き書きの意義です。聞き書きが在るか無いかで集落の実態像は違って見えます。歴史を埋めてきたのは人々の感情。謙虚で真摯に生きてきた人々です。この地域で生きてきた人が、どういう思いを持っているか。農作業や自然をどう利用したか。どう人と助け合って生きてきたか。民族調査では埋めきれない行間部分、この地域には、こういう思いの人が暮らしているという証しです。
作品を読めば、10人中8人は話し手に興味を持ち、その人が生きた風土を好きになります。
加子母の地域作りにつなげていってほしいと願います。

渋澤 寿一(NPO法人 樹木・環境ネットワーク協会会長)

 

発行:かしも通信

発行日:平成22年3月1日

編集者:田中浩子・本間希代子

デザイン・装丁:秦雅文

イラスト:本間希代子・木村仁枝

平成22年9月20日中日新聞社説より

 ちいさい秋がようやく見つかって、夜長に物語が恋しい季節。語り部は、ほら、そこにいて、あなたとの縁を待っています。山里でも、都会でも。
 小さな冊子に大きな言葉が詰まっています。
 タイトルは「加子母人(かしもじん)」。旧岐阜県加子母村(現中津川市)の若い有志が一年半かけて聞き取った、村のお年寄りたちの肉声です。
 裏木曽の静謐(せいひつ)な美林、すそ野に広がる里山の風景は、都会人の心を引きつけてやみません。
 人生をぎゅっと詰め込んで
 二〇〇五年二月、平成の大合併で中津川市に編入されたあと、主に都会から越してきたピアニストや陶芸家、農家などが八人で「かしも通信隊」を結成し、村広報の発行を引き継ぎました。大好きな村の個性が消えていくのを恐れたからでした。
 「加子母人」はいわばその別冊で、「加子母村に生きて来た人たちの人生」という副題がついています。A5判、百十三ページ。ことし三月の発刊です。
 明治四十三年生まれ、ことし十二月で百歳になる最長老の田口フジエさんを筆頭に、七十代半ばまでの十二人、山里の四季とともに歩んだ長い長い人生が、ぎゅっと詰まった一冊です。一人最低、四時間かけて聞き取りました。
 通信隊員の一人、善田奈緒さん(30)は東京生まれ。京都の大学で林学を学び、研修で訪れた裏木曽の暮らしに魅せられて、八年前、旧村役場に飛び込みました。
 聞き書きに参加したのは「お年寄りと腰をすえて話し込む口実がほしかったから」でした。石油文化を受け入れる以前の山里の暮らしや風景が、やがて永遠に失われてしまうのではと、強い焦りがありました。
 勇気を出して扉をたたくと、古老たちは一様に「何も話せることはないでよお」と困ったような顔をして、それでも快く迎え入れてくれました。漬物をかじりながら聞いた話は、新鮮でした。
 近ごろ森では、腹をすかせたシカやクマ、イノシシなどの獣害が深刻になっています。さぞかし昔は獣たちがわが物顔に歩き回っていたかと思いきや、加子母の山は人だらけ。燃料になるコナラの林や肥料にされる萱場(かやば)がきちんとすみ分けられて、手入れされ、作業に入る人間の姿が絶えず、動物たちが付け入る余地などありません。子どもたちも週に三度は、学校が終わったあとで柴(しば)刈りなどのお手伝い。炭焼き窯が三百もあったというから驚きでした。
 モッタイナイは当たり前
 昔の人は谷筋の至るところに、知恵を絞って名前をつけました。山仕事には地名が欠かせません。内緒で畑を作ったところは「隠し畑」、タラの芽がなめるほど出る「舐(な)めダラ」や、石がごろごろ転がっていて「石遊場(いしあすんば)」と。地図には載っていませんが。
 人と森が今よりずっと親密だった時代のリアルな里山の情景が、善田さんの心の中に、くっきりと刻まれました。
 「加子母の財産は山」と、善田さんが訪ねた古老は力を込めました。しかし、それに勝る宝こそ、古老が語る言葉の一つ一つです。
 ケニアから来たノーベル平和賞受賞者に気に入られ、「モッタイナイ」が流行語になりました。でもお年寄りたちの反応は「当たり前だわ」と冷ややかでした。
 ことしは国連国際生物多様性年で、生物多様性条約第十回締約国会議(COP10)の名古屋開催を来月に控え、「つながるいのち」「いのちの恵み」が、にわかに盛り上がりを見せています。またぞろ「何をいまさら」というつぶやきが、聞こえてきそうな風向きです。山里だけではありません。街なら街で「もったいない」や「いのちの恵み」に向き合いながら、きょうまで暮らしてきた人ならでは、の。
 二百歳の「高齢者」の"存在"が、世間を騒がせました。長寿の価値は、長さだけではありません。年齢という包装紙にくるまれた人生の厚みこそ、宝です。戸籍の中で永遠に年を重ねる"幽霊"たちは、長さを測り、寿(ことほ)ぐことに気を取られ、厚みの価値を大事にしない「無縁社会」に、警鐘を鳴らしに来たのでしょうか。
 「アフリカなんかまだ学校へも出られん子どもも大変あるでしょう。本当にかわいそうやね。だから、私は毎晩、どうか世界中が平和になってもらえんかと思って、神様の前で拝むよ」
 宝の言葉を心にとどめ
 「加子母人」が伝える最長老、田口フジエさんの言葉のかけら。こんな言葉をじかに聞いてみませんか。扉をたたいて宝の言葉や知恵を引き出して、心にとどめ、暮らしの糧にすることが、本当の「敬老」なのだと思います。
中日新聞(9月20日社説より)