2010年10月2日 連載⑴

「やろまいか」の風
なめくじ祭 作り出す

なめくじ祭りが8月18日の夜、岐阜県中津川市加子母の北端の集落、小郷地区の大杉地蔵尊で開かれた。わずか146戸の集落が催すこの祭りに訪れた人は4千人。1枚250円の三角クジ「なめくじ」は2630枚も売れ、ナメクジは8匹姿を見せた。

なぜ、ナメクジなのか。地蔵尊の脇にある鎌倉時代の僧、文覚上人の墓には、仏教の九万九千日にあたる旧暦7月9日にナメクジが出現、住民が参拝する風習があった。

上人は、若い頃人妻である袈裟御前に横恋慕して、誤って殺害してしまう。この日は袈裟御前の命日にもあたり、今は罪を許した彼女がナメクジに化身して、上人を慕って墓をはう…。

ロマンチックな伝説がその昔、地域の祭りに発展したのだろうか。そう思っていたら、実は祭りの歴史は浅く、地域おこしの一環として始めた、という話を耳にした。

仕掛人の中心人物、丹羽照夫さん(83)の自宅を、夕刻訪ねた。にこにこ笑いながらお祭りの怒りについて話してくれた。1986年の5月。小郷区長で大杉地蔵尊の代表世話人だった照夫さんは、地蔵尊の世話人会に村長や教育長を招き「この夏、なめくじ祭をやろまいか(やってみようか、の意)と持ちかけた。村の幹部はまじめに取り合ってくれない。

世話人たちは地蔵尊近くの居酒屋に繰り出す。酒を酌み交わしながら「やろまいか、やろまいか」と盛り上がり、なめくじ祭を区独自の催しとして始めることでまとめる。

盆踊りの他、照夫さんんp甥がもたらした「なめクジ」のアイデアも採用する。ミカンの汁で書き込んだ紙をなめると字が浮かび上がるクジ、というダジャレ企画だ。

その年の8月に開いた第1回なめくじ祭は、周辺の人100人ほどしか集まらず、クジも80枚しか売れなかった。が、徐々に参加者が増え、3回目からは三角クジに切り替え、いつしか奇祭に。

加子母では、誰かが「やろまいか」と呼びかけ、新たなうねりを次々起こす。産業で言えば「加子母ミネラルトマト」「飛騨牛肥育」。地域の活動では、若い母親が組織する「くるりんぱ」の子育て支援事業や、中学生が育てた花の苗を住民が国道沿いに植える美化運動など。

やろまいかの風は外にも向かう。阪神大震災では加子母の工務店の呼びかけで、岐阜県の大工さん延べ906人が住宅再建の支援に出かけた。

8月6日から9月6日まで、「やろまいか」の風が舞う山村、加子母を自転車で回り、元気の源泉を探った。

 

特別編集委員 足立 則夫(62)