2010年10月16日 連載3

87歳の女医
息子の死を乗り越えて

ひろこ先生。旧加子母村(現中津川市加子母)の人たちは、河村医院の医師、河村廣子さん(87)のことを、65年も前から、そう呼んでいる。
東京・中目黒の代々が医師の家に生まれ、帝国女子医専(現在の東邦大医学部)を卒業した。姉の紹介で加子母の開業医、正隆さんと終戦の年に結婚。以来、夫婦で住民の健康を守ってきた。
娘3人、息子1人を育てながら、当初は自転車で往診もした。医院のある加子母の南側、万賀地区は標高400メートル、10キロほど離れた北端の小郷地区は標高700メートル。小郷まで行くには急な坂を上がらなければならない。
「1人の赤ん坊を背ぶって、もう1人は自転車の前のかごに乗せて往診し、診察中はその家の人にあやしてもらっていたこともありました」
夫と口論のあげくに、子どもたちを連れて実家に逃げ帰ったことが何度かある。そのたびに翌日、夫が迎えに来る。「汽車の煙で、すすだらけになった夫の顔を見た瞬間、気分がなごみ、家族そろって汽車で帰ってきたものです」
1958年には自動車の免許を取った。周辺の村では女性ドライバーの第1号だった。デコボコ道を国産自動車で往診するようになった。
加子母では高血圧が原因で脳卒中で倒れる人が多かった。どぶろくをたくさん飲み、塩辛い漬物などをよく食べるからだ。夫妻はその改善指導に力を入れた。
正隆さんは75年に「是非知っておきたい脳卒中の家庭看護」という題の本を自費出版して、各戸に配布。ひろこ先生は「減酒減塩」や「血圧の薬の服用」を機会あるごとに呼びかけた。脳血管障害の患者が徐々に減少した。
加子母での65年間の生活で、最大の悲哀は、後継者の息子、信隆さんが2003年の冬、突然死したことだ。49歳だった。「酒が好きでね。飲み過ぎが良くなかったのかもしれないわね……」。自分の子どもに減酒を実行させられなかった。それが痛恨の極みだったようだ。
翌年、89歳だった夫も、追うように息を引き取った。
彼女は今、週2回、本院と、小郷地区に設けた分院でそれぞれ診察をする。ほかの日は、信隆さんの大学の先輩にあたる医師が診療を引き受けてくれている。
8月16日、小郷地区の分院を訪ねた。診察室の空気が実に和やかだ。診察の合間に冗談めかして言う。「3世代にわたって診察しているから、老いても私の見立ては正確ですよ」
高校生の孫が後を継いでくれるまで、現役の医師として頑張る。母親が96まで生きたので、それぐらいまではやれそうだーーそう話すひろこ先生のそばにいたら、こちらの気分も明るくなった。

 

特別編集委員 足立 則夫(62)