2010年10月23日 連載4

主婦が興した漬物組合
茶飲み話夢で終わらず

「あれは24年前の冬だったかいのう」。加子母村(現中津川市加子母)の女性たちが興した「ささゆり漬物加工組合」の代表、中島くきさん(75)は回想する。
仲良しの農家の主婦4人がこたつで茶飲み話をしていた。「野菜のように相場に左右されずに、自分たちで値決めした食品を売って、収入を稼げないものかのう」「子どもたちのためにも、添加物などを入れずに安心して食べられる漬物は、どやろのう」
茶飲み話は普通、夢物語で終わる。でも彼女たちは、そこで終わらずに「やろまいか」と走り出してしまった。

4人は苦しい農家の家計から、10万円ずつ持ち寄り、これに中島さんが5万円上乗せして、まず起業資金45万円を積み立てた。当時の丹羽太郎村長に相談したら「村の養蚕施設があいているから、そこをつかったら」とバックアップしてくれた。保健所の営業許可を取り、旗揚げしたのが翌年の1987年のことだった。
1人が家庭の都合で参加できず、3人でスタート。中島さんと、中田道子さん(76)と纐纈尚子さん(66)だ。最初に作ったのが、地元のシソで漬けた梅干し。以後、自分たちで栽培したダイコンやカブラ、ハクサイなどを漬物にして売り出した。 
苦労したのが、漬物を詰める袋の空気抜き。初めは掃除機を使い、次に卓上真空パック機を通信販売で購入したけれど、スムーズにいかない。
あるとき名古屋で開かれた見本市で、中島さんは思いきって1台130万円もする大型真空パック機を契約してしまう。同行した纐纈さんは「これで、もう後戻りはできなくなった」と笑いながら振り返る。この大型投資には加子母農協が融資してくれた。
3人は相談して漬物以外にも手を広げる。五平餅や栗入り赤飯、笹寿司など。中でも国道257号沿いの物販店かしも産直市でヒットしたのが「朴葉寿し」。朴葉の半分に寿司飯を広げ、その上にサケの酢漬けや甘辛く煮たマグロの缶詰、キャラブキやアサリのつくだ煮などを載せてくるむ郷土料理だ。3個1セットで630円。通信販売も始めた。
家事をこなしながら、未明から夜まで働き続けた。一時、年間売上高が3千万円にのぼったこともある。
90年には中島さんの夫が交通事故で意識不明となり、3年近く入院して死亡した。中島さんが夫の看護のため、仕事から離れる事態に直面した。そんな危機をなんとか乗り越えてきた3人も、年齢とともに漬物石の上げ下ろしがきつくなってきた。
6年前に漬物から撤退、「地蔵寿司」というブランドの朴葉寿しだけに絞り込む。今は早朝から昼ごろまで働く。3人は「続けてきて本当に良かった」と口々に言う。
「だって、この年で、毎日、朝起きて行くところがあることほど、幸せなことはありません」。そう話す中島さんは、90歳になっても、この仲間と仕事を続けるつもりだ。

 

特別編集委員 足立 則夫(62)